Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

Back to Basics

僕はあまり自分がどう進むのか、進みたいかを人に説明することが苦手だ。
なんとなくそういうことは自分がしっかりと考えていればいいと思っているし、
口に出すと言葉に縛られるので逃げ道を用意しておきたいのもある。


だけど、会社勤めを辞めて闇雲に畑を始めてから6年、
就農を認めてもらってから4年が過ぎ、
まだまだ素人の域を脱していないが、主に自分に対し、
そして自分の野菜を使ってくれる人たちやかかわりを持ってくれる人たちに対して、
今現在の僕のスタンスを書いておこうと思う。


***


よく誤解されるし、めんどくさいのであまり説明しないけれど、
僕にとって仕事はただお金を稼ぐための手段ではない。
そもそも人にとってお金を稼ぐとは何なのか、仕事とは何なのか、
というところから書かなくてはいけない気もするけれど、長くなるから後日に譲る。


農業の単科大学に行ったにもかかわらず、
専攻は野生動物生態学と行動学。
森に入ってコウモリやネズミを追いかけることはあっても、
農業なんてやるものかと思っていたし、農学系の授業だってほとんどサボっていた。
ただ、休学してオーストラリアに行き、(主にお金がなかったのが原因だったのだが)
ヒッチハイクとWWOOF(Willing work on organic farm = 有機農場で働く意思) というボランティア制度を使って旅行し、
そして運が良く僕が滞在させてもらったWWOOFのホストさんがたが、
ものすごく、
自由で開放的で、しかし、きちんと社会に対しての自分達の思想とスタンスを持って行動している人たちで、
すっかり感化されて帰ってきた。


単に仕事をしてお金を稼ぎ生きていくのか?
〜 もちろん、それぞれ皆考えていたり楽しみがあったりするし、
それぞれがそれぞれの仕事に誇りを持っているだろうから、何が良い悪いという話ではないのだろうが 〜
僕にとって、仕事と生きること、そしてその先を求めることを強く結び付けさせてくれる機会となった。


back to basics 基本に帰れ


一番長くいて家族の様に扱ってくれたファームの正面の壁に書かれていた言葉


***


前置き?が長くなった。
けれど、
仕事として野菜を作ってお客さんに渡している以上、
アウトプット、外に出る部分は僕の意思や思想とは関係なく、野菜そのものだとも考えている。
僕は貨幣そのものを目的として考えることに否定的だが、
今この国である程度、道具としての貨幣を使いながら生きていくこはやむをえない部分があると思っているし、
自分にとってはある程度は必要と思い、育てた野菜を販売している。
(それが世間一般の商売になっているかどうかは別として...)



販売するからには、提示するものは野菜そのものなので、
それがベストの状態になるように努力する。
多品目を作ることは自然農や環境へのアプローチへの一つの方法であると共に、
自分や自分の周囲の人にいろいろな種類の野菜を食べてもらいたいという、
食べ物としての僕の野菜の捉え方(だって毎食キャベツだけを食べて生きていくわけにも行きますまい...)
や、まぁ、簡単にいうと僕のスタンスとしてのわがまま。
そして多くの種数の野菜を育てることは、知識や技術の分散を招き、
いつまでたってもプロの域に達しないジレンマを抱えるような気がするけれど、
その中でより精度をあげるように努力していきたい。


精度というのは、僕の場合味であって、
そこを目的とする以上、農法にこだわらず、自分に変化を求めて行きたい。
もちろん、化学肥料や農薬を使わないというのは、前提だけどね。
自分の思想として、地域の自分の納得する資材を中心に、
それぞれの野菜に必要と思えば購入した資材を使うことも(少なくとも今は)ある。
試行錯誤の段階なのでなんとも言えないが、
原産地も特徴も違うそれぞれの野菜に、
農法(全部無肥料で、とか、全部同じ微生物資材を使って、とか、全部とりあえず同じ有機肥料播いとけ、とか、
全く教科書どおりのことをして...)みたいな
思考停止に陥らないように心がけている。



まっ、だからといって全く原理主義というわけではなく、
生活に必要となれば、カボチャやトウキビを(しぶしぶ)作るのだが...



仕事は仕事で割り切って、他のことをがんばる、という人もいるだろうけど、
僕はどうせ仕事するんなら、その時間も100%でやりたい派...
というかすでにどこまでが仕事か生活かわからなくなってしまっているのだが、
仕事(生活)として、ただ野菜を作るだけではなく、
仕事も含めたライフスタイル全体を通して、より自立した生活、
ここでいう自立とは、金銭的な意味だけではなく、
社会システムからの精神的な自立も含んでいて、
政治、宗教、その他の社会的圧力、経済のシステム(貨幣)から独立して
自分達それぞれの意見をきちんと表現できる環境創りをしたいと思っている。


つまり、

社会のシステムに頼らない循環的な生活をしたい。
意識が同じ方向の人たちとあるものや知識を分け合い、
なるべく自然に寄り添った生活スタイルを確立させたい。
国籍や年齢や性別関係なく、文化や知識の交流ができ、自分や周りが成長できる環境創りをしたい。



ある程度のゆるやかなコミュニティーの形成が出来ればいいと思っている。
将来的に長期­で畑に滞在や一緒に生活する別家族が数世帯いて互いに協力しあうのもありかと。
今もWWOOFerや友人、お客さんが畑仕事のお手伝いに来てくれているが、
単純に畑の一部を自分で創りたい人たちに開放してもいいかな。
(希望者がいたらね)



そういった考え方や自然、物との接し方があるということ。基本的な生活があるということを周囲、
特に子ども達に彼らの選択肢の一つとして提示していきたい。


そのための子どものキャンプ(これは将来的にロングランでやりたい)だったり、
毎年の鳥締めだったり、なのですよ。


食べ物をつくること
自然を尊重すること
自分達のいたらさを自覚すること
基本に帰ること
自由であること
未来へつなげていくこと



  ryo


最後のほう(大事なはずなのに)はしょったので、またそのうちに。
Special Thanks Yさん、Aさん
いつも考え方をまとめる手助けをしてもらってます。