Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

世の中の変え方は?

朝方ちょろちょろと雪かきしていると、
TさんとMさんがうちのトラクターの排土板を取り付けるお手伝いに来てくれました。
ついでにトラクターにチェーンを履かせるお手伝いもしていただきました。
・・・というか僕は主に見学で、やっていただいたんですが...
ハウスの雪ハネの道具も貸していただき、これでもかというくらい人任せで冬の準備が半日で整いました。
昨年、チェーン履かせるだけで丸1日かかり、最後に泣きそうだったことを考えると、
ありがたいやら、申し訳ないやら。


早速取り付けた排土板で道路までの除雪。
ハウスの中の支柱は(まだ束ねていませんが)整理終わり。


明日からは、豆選りと冬場の自家用野菜の(試験的)育成準備でしょうか。
ヒーター使わないで、冬でも野菜できるかなぁ。


***


午後より配達と、十勝平和を守る市民の会主催の「不戦の集い」に参加。
今年は原発問題が中心で、3年前から反原発の運動?をしている自分としてはいろいろ考えるところがあります。


集会をして「原発は危険だ、危険だ」と言うのも良いでしょう。
デモや署名集めをすることも良いと思います。
でも、(デモとかけているわけではない)それでは何も変らないでしょう。
そもそも「原発反対」といっている人達が皆正確な情報にもと基づいて行動しているわけでもないですし、
何処かにも書きましたが、「絶対賛成」と「絶対反対」というものは同じレベルにあると思っています。


安全性、経済性、継続性、どれをとっても原子力発電を今後続けていくという選択肢はないと思っています。
ただ、推進する人々もいることが現状であり、
その人たちの中には、善意で行っている人も多くいることでしょう。
生活のため、組織のために選択肢がない場合もあるでしょう。
そもそも、多くの国民は、消極的賛成か消極的反対のどちらにも極端に属さない位置にいると思います。
その人たちに、いかに伝えるか?
「反対」と叫ぶだけでは、違う意見の人の心には響かないと思います。


政府や企業を批判することも、問題をすり替えているような気がします。
エネルギー問題は、(その目的がどうであれ)国策として政治で行ってきた問題であるので、
責任は、全て自分達にあると思います。
きちんと参政権があるのだから、行使し、その結果に責任を負うべきでしょう。
「政治が悪い」と非難するということは、「自分が愚かだ」と標榜して歩くようなものだとも思っています。


きちんと情報を集め、自分達の問題として政治に関心を持つこと。
できない人がいるのなら、フラットな情報を提供し合い、
それについて論議し合える本来の民主主義社会(もしくは少なくともコミュニティー)を構築すること。
自分と違う意見があるということを認めること。
違う意見の人を慮ること。
妥協し、意見をすりあわせること。
相手の立場に立ち、丁寧な言葉で語ること。


・・・どれも全くといっていいほど、出来ておらず、これからの一生をかけた目標となるでしょうが、
こうしたやり方でしか、本当の意味で世の中を変えていくことはできないのではないかと思っています。


気が遠くなるほど長い時間がかかるでしょうし、
自分の周りの手の届く範囲しか、触ることが出来ないのかもしれませんが。


そして、自分にとっての「世界」は、
自分、周りの大事な人々、その人たちの大切な人、それぞれの子ども達...
ここらへんで地平線になるかもしれませんが。


  ryo