Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

歴史に対する認識 (2009.3.2)

芝居をやることがきっかけで岸田國士について調べていて、
興味深いことを一つ。

岸田國士は言わずと知れた日本劇作家の大家ですが、
第二次世界大戦のあった昭和初期前後で活躍した人物であることもあって、
政治的な姿勢に対する評価は分かれるところらしいです。

本来、文化活動は政治的に利用されることがあっても、
ある程度内面的なものの表現手法である限りは、
例えば、絵や小説などの場合は、
政治的には独立した作品を創造する事が可能だと思います。

しかし、芝居は、特に昭和初期の芝居については特に、
政治的な影響を受けざるを得なかった背景があります。

それは、一つには文化的な歴史が浅く、人々に認知される過程で、
現在のニュース的な(ジャーナリズム的な)側面があったためです。
明治初期には、壮士芝居として自由民権運動の一環として、
第一次世界大戦時には、日本軍の奮闘を伝達する手段としての芝居が評判となっています。

そしてもう一つは、背景というと少し違いますが、
自己のみの表現ではなく、何人もが協力をしないと基本的に成り立たない芝居では、
特に第二次世界大戦当時は、人と係わり合う上で、政府なり他人に対して、
どういうスタンスであるかを「選らばなければいけなかった」ためです。

話は戻って、岸田國士ですが、彼はどちらかというと体制側につき、
大政翼賛会の文化部長として活躍し、戦後は公職追放にされています。
「新潮」においても岸田を語り、「軍人的だ」との批評があるように、
当時の岸田にある程度そのような側面があったことは否定できないとは思いますが、
他劇団の主要メンバーが当局により次々と検挙され、廃止を余儀なくされている中で、
岸田の「文学座」は活動を許され、それにより明治からの演劇の技術を途絶えさせなかった功績があることも事実です。

今の私たちが、実際の岸田の心境と判断を断ずることは難しいと思いますが、
歴史認識をする上では、功罪ともに認めること、
その人の善悪という単純な分けでなく、背景を鑑み、そこにある人を思いやらなければいけないなと感じました。

ともあれ、そのような弾圧するか、されるか、
のような二者択一の選択を迫られる政治はやりきれないですね。

  ryo

ビデオにもなっている三谷幸喜氏の二人芝居「笑の大学」ではわかりやすく当時の情勢を知ることが出来ます。
うちの劇団でも当時の資料をまとめてみました。興味ある方は見に来てください。