Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

すばらしく幸福な日

お隣さんのお手伝いに行き、ごぼうの収穫を終わらせてきた。
困ったときはお互い様、感謝もされ、誰も傷つけない日。
帰っても静寂があり、犬と猫と遊んだあとにネットを開くと、
陰鬱なニュースや、多くの人の感謝ややさしさにあふれていた。


なんてすばらしい日だろう。


僕達は暇に飽かせて、他人の不幸に酔ったり、
慰めあったり、無知で偽善的な笑みを交し合ったりして、
幸せに暮らしている。


どこかで、今も子どもが銃で撃たれ、
貧しさから子どもを売ろうとする人がいることを知っていながら、
その対価としての幸福を享受している。


幸福は、きっとどこかの不幸とつりあっている。


この地球が有限なのだから、無限のみを生み出すことは出来ない。
一人当たり、どのくらいのものを分け与えられるのだろう。
必要以上にものを安く買うとき、
必要以上の対価を支払われるとき、
だれかの涙や死がその代償としてあり、
この国では、どちらも必要以上のものを幸福の裏側に求めている。


だからと言って、目の届かぬことはないものとして、
皆、日々喜び、哀しみ、苦しみ、幸福を感じるのだろう。


そして、今日もすばらしく幸福な日だ。


  ryo