Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

ふぇあとれーど?

朝方は、やる気なかったので大玉トマトの整枝&芽かき。
トマトをやるとやる気が少し出ます。少しだけね。
雨後で地面濡れていて、基本的に地面にはいつくばっての仕事が多いので、
外仕事したくなく、3号ハウスの整地をしてマルチをひき、
ゴーヤ、ヘチマ、あじうり、トレビス、エンダイブ、レタス何種類か適当に定植。
ゴーヤとレタスが並んで植えてあるシュールな感じになりました。
分かる人だけ分かればいいです。
ついでに欠株の出ていたキュウリを補植して、その周囲を草取り。
昼休み、今日はちょっとだけ。
午後からひたすらトウキビ草取り。
・・・草生えすぎていてマルチはがれかけています。
雨前は大丈夫だったのに、このところの高温もあり、ひどい草の状態です。
草による被害は各地に出ている模様です。
夕方蚊に群がられながら暗くなるまでやって、やっと全体の2/3終了。
あと半日。できれば明日の直売後で終わらせたいです。


  ryo


この間、うちの野菜の販売中に、
「これってフェアトレードですか?」
と聞かれました。


う〜〜〜〜ん。


仮にマルクスのいう「労働力」に対して、等しい対価を支払われるべきだ、
という理想的な状態において、適正な対価を得ることが出来ているかと聞かれたら、
答えはNOとなり、
まぁ、最低賃金を得るくらいの価格にしたら3倍くらい、
公務員の平均労働時間に対する賃金くらいを得るくらいの価格にしたら6倍くらい、
の値段が必要なのだろうが、
そんなに単純な野菜の値段がが高いか安いかという問題ではないのかもしれない。


"彼らの労働の成果は、それがいくら彼らにとって当然であったとしても、彼らの権利なのではなく、彼らの欲求を満たすことである。"


現在の資本主義社会は、利潤の追求を前提とした社会システムなので、
まぁ、悪く言うと、労働者の労働力を搾取し、余剰利益を生むことを目的とした社会なわけで、
そもそもフェアネスという概念からかけ離れたところをベースにしている。
中世においては、利潤の追求(≒搾取)は悪いものとしてとらえられていたはずだが、
資本の運動により、発展を遂げようとしている現代では、
いかに資本(労働力含む)を用いて、その資本を増やそうと皆が皆、活動している。


フェアネスに話を戻そう。
このため、僕が一本100円の大根を作ったとする。
山では、みんなたくさん大根を作っているので50円でしか売れなくて、
海では誰も作っていないので、200円で売れたとする。
資本主義的なフェアネスですね。
どこかで僕の大根を食べると不治の病が治るという話になって、
困っている人が、10,000円で買ってくれるという。
これも資本主義的なフェアネス。
さらに調子に乗って、怪しげなセミナーを開いて、
「この大根を食べないと貴方に不幸がおとづれる」
と一本100,000円で売りつける。
これもフェアネス。
逆に、すごい美人がいて、
いくらでもただで持って行ってください。
これもフェアネス。


つまり、普遍的なフェアネスはそれ自体が資本主義社会においては存在しないのであって、
「いかに物やサービスを相手をだましてより高い値段で売るか」に腐心すればいいのである。


あっ、これはどんなにいいこと言っていても、
どの職業でも共通の構図ですよね。


昔、某世界的な慈善集団?がアフリカの子供達のためにチャリティーパーティーを開いて、
そのビンゴの景品にベンツがあったという話を、本当かうそかは定かではありませんが、
聞いたことがあります。


今の日本の社会では想像力が低下し、
原発反対!」と集会を夜にこうこうと電気をつけて、コンビニのお弁当を食べながらやり、
「世界平和を考えています」とモラリストぶりながら、100円ショップで買い物をしたりする。
(その安価な物の背後にある労働力について想像できていない)


それでも、問題は、それはものすごく自然なことで、どうしようもなくフェアだということなんだよ。
だけれど、生きている限り、僕たちはチャリティーパーティーでベンツを扱う人たちと、
大なり小なり同じ穴の狢だということを知っておく必要があると思う。


***


今度、自分で値段を決めないで、お客さんが野菜の値段を決める販売してみようかな。
ある意味、フェアトレード


全部5円くらいだったりして...


***


経済学は専門じゃないので、至らない点は、誰かご指摘を。