Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

パクチー祭り


パクチー
別名コリアンダー
別名シャンツァイ、
別名ザウムイ、


タイ料理、ベトナム料理には欠かせない食材で、
僕が好きだ、という理由だけで毎年作っていますが、
売れ行きは...年に3束くらい売れるか...といった感じです。


そんな哀しいパクチーですが、ネタとして持っていった昨日の販売で1つ売れました!
しかもそれを見ていた隣のお客さんが「私も欲しい」と。
あわやパクチーで修羅場になるかもしれない一瞬触発の場面でしたが(うそ)、
次月持ってくるということでご了承いただきました。


何?とうとう時代が追いついてきたか?


ということで、次回大量に野良生えしている(←言っちゃった)パクチーを持って行きます。


いや、去年種とってカレー作ろうと思っていたのですが、途中で採るのが面倒になり、
諦めたから大量に野良生えしているわけではありません。
もちろん、葉の状態でぜんぜん売れなかったので、
くやしいから、カレーを作るなどと言っていた訳でもありません。


たまに、目的と手段が逆になります。


***


今日は、売れ残ったハーブを一部残し、定植。
本来、こういうこまいものは近くに植えておくことがセオリーですが、
・・・よく出す、バジル、青じそ、パセリ、セルフィーユくらいは近くに置きますが・・・
そのほかは畑の反対側で放任です。
元気に育ってくれることを祈ります。


午後は、ジャガイモの畝間に鶏糞施用。
ちんたら、と言うかダイオウ抜いたり石拾ったりしながらの作業で遅々として進まず。
僕の中では、誰か研修生来たらやってもらう予定でしたが、残念。


***


少し遅めの鶏糞施用ですが、
わざわざ土に入れてリンをアルミのえさにするのも、なんですし、
そもそも僕のやっている、イメージしているやり方は、上に積み上げていくもの、
というところだからでもあります。


有機農法が良い、化学肥料を使う慣行農法が良い、という二元論のつまらない喧嘩じみたことが、
結構多いですが、
僕は、世の中の多くのことがそうであるように、
長い線、選択肢のどこで区切るかということだと思っています。
つまり、無肥料、放任、自然栽培が良いといっても、その先には自然状態からの採取があるでしょうし、
人工的に手を加えたものの先には、
なんだろう?
工場での生産、遺伝工学を利用した育種なんかがあるでしょう。


それの間の線は、区切り方により千差万別で、
そのどれもが、「良い」「悪い」で区別されるものではないと思っています。


ようは、作り手が、どれを選択するか、消費者の方が、どれを選択するかだけです。


僕の農業は、
(米農家でジャンルは違うけれども)師匠や、福岡氏等諸自然農の巨匠達の影響を受けていますが、
それと同時に、自分がやってきた生態学の考えを基礎としています。
自然状態の理想的なサイクルは『森』だとも。


人工的に作物を畑から採取している以上、
(過剰ではなく)その分のエネルギーは畑に戻すべきだと考えていますし、
なるべく、その戻し方は、『積み上げていく』という方法に沿いたいとも。
たとえば、しんどいけれど『刈敷き』になるべくこだわっているのも、そんな理由です。
(面積をさばく都合上うまくいかないことも多々ありますが)


***


僕にとって、この『積み上げていく』ということは、いろいろな指標のひとつになっています。
未熟ですので、なかなかできないことでもありますが、
物欲や自己顕示欲が大してない代わりに、
自分の分からないこと、感じたことのないこと、日常の出来事を、
たとえ小さなことでも、『積み上げていく』ということが大きな意味を持っています。


***


だからといって、味がどう変わるか?
と聞かれたら、
「さぁ...」
としか答えようがないですが。


単なる自己満足です。


  ryo


自己満足というか、
仕事でなくて、生き方...かな?


いや、自己満足は、自己満足だろうけど。