Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

むしろハトで

牛達の昼ごはんは、乾燥のロールになっている牧草です。
Yさんが上によじ登って電動の大きなバリカンで真っ二つにしているのをいつも眺めていたのですが、
どうしてもやりたくて、お願いしてやらせていただくことに。


・・・もちろんイメージ通りに出来るはずもなく、
うまく割れなかった卵みたいになってしまいました。
おかげで今日は作業ががっつり遅れそうになり、急ぎ、いつもの倍疲れました。


まぁ、こういう失敗を乗り越えて技術を取得していくのでしょう。
(達観している様だが、一度やって失敗しただけの現実)


そんなこんなで、楽しく生きています。


申し訳ない。


家では年賀状のためのイラスト描き。
これまた楽しくなって別なものを描いていたりして、時間が過ぎていく...


  ryo


そういや、昨日お世話になっている人に見合いのお誘いをされた。
もちろん、何もなしていない僕は丁重にお断りさせていただいた。


何もなしていない・・・こともあるけれど、
えせ運命論者の僕は、人と会うことにも、変にこだわり、
自分基準で、納得できるものしか選ばないというたちの悪い傾向にある。


”詩的でない人生に何の意味がある?”


名刺やインターネットなんかの出会い、つながりは、なんとなくこそばゆい。
もちろんそういうものはあってもいいのかもしれないけれど、僕には、いらない。
・・・という僕もこうやってブログ書いたり、FBやツイッターやったりしているのだけれど、
なんていうんだ?
メールより電話、電話より手紙、手紙より(どっちも捨てがたいが)相手に実際会い、顔を見て、触れるほうを選ぶ。
ハトでも良い。
ハトを飛ばせ!


デジタルもツールとしては面白いのだけれど、
無駄に時間のかかるアナログ的な方法のほうが、
その無駄の中に自分が大事にしなければいけない何かがある気がする。


だから、出会いは、
『図書館で同じ本に手を出して・・・あっ』
みたいなものでなくてもよいのだけれど、
偶然ある日隣に居合わせ、どうしても繋がってしまうようなものを大事にしたい。
そんな人との繋がりには名刺なんかは必要なかったりする。


それは男の人でも女の人でも。