Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

WWOOF登録します  その2

申請書を送っていただいたので、
書式にのっとり、いろいろ紹介や受け入れ条件なんかを決めてみました。
それはいいのですが、英語表記が...


英語(語学)・・・


大学休学して復学したときに、残っていた科目はほとんど語学でした。


高校の時には、「評価が30点未満だと強制的に退学」というむちゃくちゃなところだったので、
そして、僕はテスト評価が20点くらいだったので、
(テスト評価は基本的に8掛けされ、それに通常の評価が加えられる方式だった)
(ただ、英語の時間はサボったり、寝ていたりすることが多かったため通常評価点は期待できなかった)
英語の教師に媚を売るために、放課後ゼミなるものに出席しました。
が中で行われていた課題は「英語の映画を字幕なしで観て、それについて英語のみで討論する」という、
当時の僕には、「単身月へ行け!」という課題と同じような難題であったため、
結局すっぽかして、印象を悪くしただけ...
という苦い経験があります。


それでも、オーストラリアに一年間いて、
話せないと生きていけない状況だったので、
聞きかじりのたどたどしい英語で何とかやってきました。
が、どうも書いたり、読んだりは、うまくできません。


っていうか苦痛・・・


でも、なんとか乗り切りました。
基本的にいつも何とかなるようです。


うちの受け入れ条件は・・・
■人種、性別、年齢不問
■基本的に1人(住むところがないため、テント持参ならそれ以上でも良いよ)
■健康的であること
■料理ができること(忙しくなると僕は余裕なくなるので、最低でも交代で料理できること)
■自然を尊敬できること、好奇心旺盛なこと、適度に適当であること


仕事は・・・
■農作業全般
だけれど、
■施設整備(できたらツリーハウスを建てたい...あっ、風呂が先か...)
■庭仕事(家の周りがきれいになると良いなぁ)
■面白い(と僕が思うこと)は何でもやってもらいたい(絵描いたりしていてもらっても良い)


という感じで。


  ryo


僕はオーストラリアで一年間WWOOFerとして働いていたんだけれど、
2つ目に行ったところが、気に入って、2ヶ月くらい滞在していた。
広大な敷地の中で、WWOOFerを5人くらい常時滞在させ、
それ以外にも何家族か、コミュニティーみたいに(結構勝手に)住んでいた。


良いことも悪いことも教わり、
ハードに仕事をし、ハードに遊び、
よく笑い、よく皆で飲んだくれ、たまに喧嘩した。
結構皆勝手気ままなことをしていて、
絵を描いて「これが仕事だ!」と去っていくやつもいたし、
ひたすら良く分からないオブジェを作っているやつもいた。
そのホストはオーガニックな菜園のほかに、子供達を受け入れたキャンプ場もしていて、
その子供達に何をするわけでもなく、放置していた。


子供達は野山で勝手に遊んで・・・
なんていい加減さ!


そこには、それまで僕が感じたことのなかった、
自由と、熱気と、本来の基本的な生活、そして人がいた。
WWOOFerでもないのに勝手にそこに住み込んでいたヒッピーの1人とよくつるみ、
罠のかけ方、蛇のさばき方、ウサギの皮のなめし方、ヒッチの仕方・・・
いろいろ教わった。
そいつはある日誰にも行き先を告げずに出て行ったな。
前の日、
「いいか、Ryo、俺達はずっと一緒にいたし、おそらく親友みたいなもんだろう。
俺は明日出て行くけど、俺に連絡先なんてないし、無理に連絡をする必要もない。
人は皆そんなことで哀しむけれど、本当はそうじゃない。
別れは常にあるものだけれど、出会いがあり、すごした時間があり、思い出があれば、
その中でいつでも会えるはずだし、心はともにある」
って、寺山修二みたいなことを言っていた。
かっこよかった。


アダム、俺はあのときのお前と同じくらいの歳になったのに、
お前みたいになりたいと思っていたのに、
いろいろとつまらないことを引きずってばかりだよ。


そのファームは、長いこといて離れがたかったけれど、
「もっといろいろなものを見てみたい」という好奇心に負け、出ることにした。
そこを出て、数ヶ月がたち、クリスマス近い時期に、また電話をかけた
「WWOOFしたいのだけれど」って。
はじめは「この時期は人がたくさん来るからWWOOFとってないんだよ・・・」と断られたのだけれど、
途中から、名前を言っていなかった僕に「Ryoか? Ryoなんだろ?」って、
そして怒られた。
「お前は家族なんだから連絡などしなくても、いつでも来ていいんだよ」
って。


うれしくて、結構泣いた。


こういう人達になろうって、
思った。