拙菜園に来た今後の仕事の核になるであろうトラクターのため、
畑横の倉庫を片付けました。
片付けるといっても、前の持ち主の方のものがたくさん入っていて、
僕のものでなかったので手を出し辛かったのですが、
そんなことよりも新車が雨ざらしになる方が可愛そうでしたので、
その方にお願いし、一緒に(というか、僕はその手伝い)片付け。
家はどんなに汚くなっても、仕事道具だけはきちんとしておかないと、効率が悪くなります。
で、作業機を収納して行こうと思ったら、ピンがありません。
明日買って来よう。
この頃、Tさんに散々手をかけていただき、
畑らしくなった裏の牧草地です。
面積は約7反(0.7ha)、これで総耕作面積が2.3町(2.3ha)くらいになります。
・・・今年でも散々だったのに、手をかけられるのか?
それよりもこの広くなった部分に何を作るのか?
なぞが深まります。
ただ、この場所はおそらく拙菜園の中で一番土地が良いので、
根物が良いとの助言を受けました。
場所を区切って、ジャガイモとニンジンかなぁ。
100間以上あるので、この延長のニンジンを作ったら、自殺行為のような気もしますが...
豆作れたら豆でも良いのだけれど、シカがなぁ...
まぁ、なんか考えよう...
ryo
このごろ空気が澄んで、畑からの日高山脈が美しい。
月や星もそうだけれど、時代や世代、状況をこえて同じものを多くの人が見、感じられる。
人は便利さと引き換えに多くのものを失ってきているが、
まだ多くの美しいものが残り、心を打たれる。
便利さのために自然環境、人とのつながり、多様な価値観・・・を犠牲にすることは、
は対価を得ているための必要悪なのじゃないか、
現状を受け入れなくてはいけないとの意見もあるだろうが、
それでも今の社会の流れをただ、何も考えずに受け入れることが是ではなく、
そして、その中で、概念的に語るだけでなく、
より良いもの、目指すものにアプローチしていく姿勢は、
どんな立場、状況の人にも必要なんじゃないかと思う。
それは、会社勤めなんかをしていて、
ノルマや制限があったとしても、
全ての仕事に、本質を見据え、社会的に影響を及ぼせる目的を見出すことは可能だろうし、
ただ淡々と目の前の仕事をこなすだけではなく、
それぞれが自分の仕事の社会全体への影響を自覚し、目的を持ち、達成させていくことが、
より良い社会環境の形成に資するはず。
そしてその意識のある仕事が、最終的に評価される仕事でもあるはず。
妥協や思考停止では、今あるシステムに飲まれてしまうだけ。
その中で、損か徳かを度外視して、あがく人が好きだ。
・・・あんまりいないのが、残念だけれど...
そして、世の中の事柄を何も考えなしに、ただ受け入れたりせず、
少しでも次の世代のための環境を改善していこうとする行為は、
自分の子どもを愛することと同義なのだと思う。