Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

僕達は、バカにされているよ

あるサッカーの強豪チームが、
「足でけるだけじゃなくて、場合によっては、持って走れるように」
と勝手にルールを変えたら、スポーツとしてのサッカーは破条します。


もちろん、変化がなければ、硬直するので、変化はあってしかるべきですが、
それはどんな弱小チームに対してもきちんと説明し、全体の合意を持ってなされるべきです。


***


変化そのものよりも、
一内閣で、国の根幹部分を変えてしまうという、
前例を作ることに、大きな違和感を感じます。
もし、もっとタカ派色の強い政権が閣議決定しなおしてもありになるし、
逆に、全く違う政権が解釈のしなおしをしても、ありになるでしょう。
そんな軸の定まらない国家が、国際的に信用を得れるとはとても思えません。
これは、9条云々の話でなくて、日本が国家として民主的に独立できるかどうか、
という話にもなるでしょう。


ルールを変えることが、一部のもので出来る社会になるということは、
いつ、人のものを取っても罪に問われない社会になるか、
いつ、ガリガリくんの当たり棒がなくなっても文句の言えない社会になるか、
いつ、なにか言いたいことをいえなくなる社会になるか
いつ、人を殺せといわれ、それが正義だと賞賛される社会になるか
いつ、まちるだいすけが日本のイメージキャラクターに起用されても、文句の言えなくなる社会になるか、
まったく、分からないということです。


ただ、問題があるとしたら、これはすべて自分達自身の責任です。
第一次阿部内閣の様子をみているのでしたら、
明らかに、あの政権を一度投げ出したアホが何をしたいか分かっていたはずなのに、
そこに皆、投票したのですから、
目先の株価と、目先だけを求めた政策だけ追って...


僕はアナキストなので、無政府主義かつ自由主義だし、
それ以前に、ただの百姓なので、あまり難しいことは分かりませんが、


昔は、もっと自民党もバランスが取れた政党だったと思うのに...


そして、公明党は、党としての体をなしていませんね。
創価学会員はどういうスタンスなのでしょう?
それでも公明党に入れ続けるのですかね。
権力の側にいて、小さい政策を実行できれば、党是/根本の考え方はどうでもいい?


  ryo