Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

キャンプ場やります

突然ですが、
僕は、子供達にとってもっとも大事なことは、
それぞれの力を信じてあげて、その子達の選択の幅を広げてあげることだと思っています。


それがどのような形であれ、
世界や未来、そして社会を考える上で、
将来を担う子供達の力は必要になります。


大人として、自らの仕事を行い、家族を守ることもさることながら、
次の世代に、どう繋げていくかは、近視的に現実に子供がいるいないにかかわらず、
全ての人間の責務だと考えています。


が、残念なことに、今のこの国では、
(大人がそうであるように)
(もしくは大人がそうであるから故に)
子供達が画一的な価値観でのみ教育を受け、育てられているように思えてなりません。
僕は一夏、道の社会教育の臨時職員として自然の家で働いていましたが、
ほとんどの学校では、教員は与えられたメニューをいかに消化するかしか念頭に無く、
酷いときには野外教育施設なのに雨天時のメニューを別に考えるのが面倒だということで、
全部屋内のメニュー(陶芸や豆腐作り)で埋めたり、
「危ないから」という理由で火や刃物を使わせなかったり、


社会教育のスタッフ側も問題で、
「どうしたらこのすばらしい自然を分かってもらえるか」
という半ば「すばらしさ」を強要し答えが用意されている「フィールドゲーム」を
積極的(盲目的)に行ったり、
あぁ、もうとにかく説教くさくてたまらない感じでした。
教えるほう、というか身近な大人が画一的だから、
(とりあえず人が集まったら「アイスブレイク」のゲームをしようみたいな)
子どもがどんどんつまらなくなるのです。


***


一方、オーストラリアでも3ヶ月ほどキャンプ場で働いていたのですが、
そちらは雲泥の差、
子ども達は基本的に好き勝手やっています。


日本は基本的に考えることをやめさせる教育を
誰のためだか積極的にしていますが、
そして、それは管理する上ではとてもらくな方法なのですが、
ちっとも面白くない。
そして、それ以前に日本的なムラ社会の教育をし、その社会を作っておきながら、
自立した個人、市民を基礎にした民主主義を標榜するものだから、たちが悪くなる。
当然、政治はできレースになって、一部の人間のみの利益を追求した社会構造になり、
将来的には、平和主義も危ういものになるでしょう。


一方、そのオーストラリアのてんでんバラバラに見える子ども達は、
基本的にてんでんバラバラなのであまりたちがいいとは言えないのですが、
よく見ると彼らなりにルールをきめてんでんバラバラなだけで、
決して利己的な個人主義者が出来るだけではないと思いました。


***


日本でも同じような自由思想と子ども達に対する信頼をベースにした社会教育をしている方もいて、
そういった方を訪れるたびに、自分もいつしかかかわりたいと思っていました。


というわけで、来年くらいからぼちぼちやります。
僕は一応野良仕事もしなければいけない時期なので、
一緒にやりたいという方は声をかけてください。
ただし、子どもに説教くさい人はご遠慮願います。
むしろ、子どもを含め他の全てから何かをつねに学びたいという貪欲な人が望ましいです。


来年は試行ということで短期でやる予定ですが、
自分のところの子を参加させても良い人がいたらご連絡ください。
ただし、ある程度の小さな怪我などは許容できる人に限ります。


よろしくお願いします。


  ryo


と言っておけばやらないわけには行かないだろう。


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今日の仕事は、
トリ小屋修理(なんせ扉が壊れて、毎日トリが自由になり放題だったもので)
カボチャ収穫ちょろっと(まだ木が青いので本気収穫は来週にしました)
ニンジン試掘(小さいながらも無いわけでは無いようだ)
ロータリーが調子悪く格闘(相変わらず機械はさっぱり)
昼寝