Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

4年目にして


はじめてたまねぎがまともに出来ました!
長い道のりでした。


今日は5個販売。
今は、まともな大きさのものは少ないのですが、
上部はまだ元気なので、もう少しは大きくなると思います。


***


今日は一ヶ月に一度の配達と販売(保育園)同時開催のお祭りのような日。
朝4時半から収穫始めて、食事を取らずに配達、配達間違いで引き返したりしながら、
販売、残りの配達、直売の残り物知り合いにあげてきたりして、
帰ってきたら22時。


仕事人間だな、僕。


  ryo


おかげさまで、今年の一日販売記録更新。
でも、あれだな、僕は、ゆとり教育って大事だと思うな。
ある程度競争は必要かもしれないけれど、
人生には、お金や、一般的な価値観ではない、独自のものさしも必要だと思うから。


ゆとり教育が失敗したのは、
教える方が杓子定規の頭が悪い奴らだったことと、
この国に、
個人の義務と責任、
社会への個人のあり方の、個々の認識、
・・・子供だけでなく、親、教師、社会全体の...
が欠けたまま、
その不自由な価値観の中で、
子供にだけ「新しい価値観」を強要したことが問題なのではなかろうか?


個々は生来、自由で、それぞれの独自の唯一の感性と能力を持って生を受けているはず。
安易に、他の感性を否定すべきでないし、
(まぁ、大体否定する人間はそれだけの感性しか持ち合わせてない
=それだけが感性だと思い込んだ細い路地に迷い込んで出られなくなって
しまっているのだろうけれど)
画一的な判断基準で、個々の感性を押さえ込んでもいけない。


ただ、個々の問題とは別に、社会生活を営んでいく上で、
社会の仕組みや、自身が自由に振舞うことによる周りの影響について責任を追う義務がある。
つまり、ある程度社会全体の所謂「一般常識」も把握しながら、
その上で、それに反するか、反しないか、
反する場合には、その場合のリスク(人に嫌われるとかね)を念頭において、
その結果に責任を持ちながら行動しなければいけない。


ただ、それを踏まえて、同じ価値観で競争しながら積み上げていく社会が優性で、
個々の価値観に基づき、それぞれが求めるものの集合体である社会が劣性だとは思わない。


過去歴史上は、幾度となく価値観の変換を迫られてきた。
同じ価値観、同じ社会構造は、程度の差あれ、劣化する。
その際に、次のステップにスムーズに移行できるのは明らかに後者だと思うし、


そもそも、この国では50年前のような成長期は過ぎている。
今のこの国で同一の価値観による成長は、一昔前ほど期待できず、
それよりも閉塞感を打破する個々の能力を育て、
各分野での細かい突破力のほうが、(まだ)期待できるのではないか?


よく言われることだけれど、
サーベルタイガーは、牙を伸ばし、その牙を伸ばさないという選択
(本人達の選択でなく、自然選択だけれど)
が出来ず、滅びた。