フェリーは昼だったので、朝早くゲストハウスを出ても特にすることもなく、
例によってバックパックを背負って海岸沿いを海を見ながらふらふらする。
(これは失敗だった。あとから海など飽きるほど眺められた。)
焼け付くような太陽から逃げるようにして入った屋台で、ビールと朝飯代わりに軽いものを頼む。
と、店先を痩せこけた子犬が歩いていった。足取りは頼りなく、よろよろと半分倒れながら進んで行く。今にも倒れそうだなと見ていると、その場でぱたんと倒れこみ、ぴくりとも動かなくなってしまった。
暑さに食欲をなくし、すっぱいカンボジア料理を無理やり胃に流し込んでいる俺が、目の前の食べ物を少し分けてあげれば、子犬は救われるのかもしれない。しかし、明日はどうだ?
子犬は自分で立ち上がるしかなく、俺は見守るしかない。ただ、その罪ー自分の生に対する罪を覚えておく必要はある。
そんな俺グラスに屋台のおばちゃんが笑いながら水を注いでくれた。
これがこの国だ。もっと強くなって欲しい。今は立ち上がれなくても、能天気な旅行者を食いつぶし、いつか自分の力で立ち上がって欲しい。
風邪が吹いて、子犬の耳が動いた。ほっとした自分に嫌気がさして、お金を置いてまた太陽の下に戻った。太陽は変わらず少しの優しさも見せやしない。
昼よりフェリー乗り場とは名ばかりの桟橋から、スピードボートとは名ばかりの小船に乗り込み、小船は真っ黒い煙を吐きながらタイとの国境の町KaohKongへ。うだるような暑さの中4時間―地獄のような4時間を過ごす。見えるものは海(たまに島)、海(たまに島)、海(たまに島)。。。やっとの思いで着いたと思ったら、机一つの国境検問所?をパスすると、次はモーターボート。これで3ドルは安すぎる。定員2、3人の小さなボートに6人(運転手入れず)乗り込み、猛スピードで海を駆ける。ヘタなジェットコースターよりもずいぶん怖い。何しろ命がかかっている。
夜半になんとか無地にタイに到着。一緒のボートに乗っているイングランド人はまだ紛争が頻発するカンボジア北部の部落を移動していたとのこと。俺の旅はまだまだ甘い。
(解説)
自分の日記に解説をつけてみます。
なにぶん大分前のことなので、詳細は忘れていますが、カンボジアを旅行した最後の日で、多少感傷的になっているのだと思います。
カンボジアは、某地球の迷い方などのガイドブックでは、陸路と空路での出入国しかできず、旅行者は主に空路とありますが、空路は高いという基本的な理由により、入りは陸路、出は航路にしました。物価が安いので、現地でのピックアップトラックを使うと、カンボジアを横断しても全部で250円くらいだったはずです。(ただしピックアップトラックはぎゅうぎゅう詰めで立つ隙間くらいしかないので、長時間悪路を一つの姿勢で耐えれることが条件です。ちなみにピックアップトラックで移動する日本人は少ないらしく、移動中一人も会いませんでした。(というかマイナーなところに行かないだけかも)
出の時に使ったスピードボートは、名前をそのまま信用してはいけないようなポンポン黒煙を吐きながら進むボートです。地元の人の日常交通手段らしく、ところどころ(桟橋などないところでも)で停まっては、カニやエビを網に入れたおばちゃんなどが乗り込んできます。
最後の国境を越えるモーターボートは。。。これがカンボジアで一番怖かったですね。これまた宿が安いと言う理由で泊まった治安の悪い地域で夜中に何回か銃声が聞こえていたときより怖かったですね。定員を明らかにオーバーしているので半分沈みながら走っていました。まぁ、正規ルートでなければこんなもんなのでしょう。
この日泊まっていたコンボンソムはシアヌークビルといって、カンボジア有数の観光地です。なんか最後にリエルが余ったので、遊ぼうと思って行ったのだけれど、交通費けちってとろとろピックアップトラックで移動したので、移動に時間がかかり、遊びらしい遊びはせず。贅沢は野宿でなくてゲストハウスに泊まったくらい。それでも温かいシャワーは贅沢なのです。肝心の海は前の日に浜辺でカニを観察し、夕焼けを見て、この日の朝にぶらぶら散歩して堪能しました。観光客があまり入っていないで、きれいな海とのことでしたが、特にすごいといった印象はないですね。
カンボジア料理は東南アジアで辛い、というイメージがあるかもしれませんが、魚介類の発酵したものを調味料に使うため、どちらかというとすっぱい料理が多い気がします。
少なくとも安屋台で食べたものは概ねすっぱかった。
ryo