Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

2006.1.1 ラオス ルアンパバーン

2006年の新年はバスの中で迎える。バスはおんぼろなので、坂道を歩くようなスピードでしか登らない。これでは狙われる。困る。ルアンパバーンの近くでは、道の真ん中でバスが停まっている。横の人が身振りで襲撃されたと教えてくれる。困ったものだ。生きていると危険が一杯。
とりあえず生きてたどり着くも、朝5時。真っ暗の中で右も左も分からず、バスターミナル(空き地)の売店の子に道を訪ねるも(と言っても知っている単語は「ルアンパバーン」だけだが。。。)いまいち要領を得ない。が、大体の方向は分かった。今日も今日とて歩いて街まで進む。
まずは、メコン川へ。
なぜメコン川なのかというと、ラオスと言えばメコン川だからなのだ。
そして、メコン川といえばビールなのだ。


メコン川雄大であった。
とりあえず、川べりでボーとする。
これからどうするかなんて、どうにかなるさ。


と、向こうにいたスピードボートの兄ちゃんが話しかけてくる。先ほど本屋で買った絵解きラオス語会話集の出番だ。これはなけなしの金ですばらしいものを手に入れた。ドラえもんも翻訳コンニャク切れたらこれを出さざるを得ないだろう。
「何しているのだ、ボートに乗らないか」と聞かれたので、「お金をすられて何もすることができない」と答える(つもり)。「泊まる所はどうするのだ」と聞かれたので、「そこらへんで野宿」と答える(つもり)と、彼のうちに泊めてくれるとのこと(たぶん)。
ただで、泊めてもらうのは後ろめたいので、客引きの手伝いをすることに。昼ごろになると各国からの観光客がぞろぞろ通るようになる。こうした連中にどんどん声をかけて行くのだが、全滅。まぁ、スピードボートで案内する場所のことをまったく知らないので、当然といえば当然である。
そのうち彼(アイという名らしい)やその家族も皆お客を見つけて出て行ったので、一人とり残される。じっとしていても暇なので街中の探索に。朝方は肌寒かったくせにじっとしているだけで汗が出てくる。うだるような暑さだ。いくつかお寺を見て廻るも、あまり暑いので、メコン川の川べりに寝そべり、ビアラオを飲んでボーとする。至福だ。


さらに川べりで昼寝をしていたらアイが帰ってきたので、客引き再開。・・・結局俺の勧誘したお客は0。このままでは本当にただ飯くらいになってしまう。。。と思うには思っていたのですが、のこのこ遠慮もせずにアイの後についていって、ご飯をご馳走になり、泊めてもらう。


明日の予定は未定です。




(解説)

前職で年末年始のドサクサに紛れ、周囲のひんしゅくをかいながら2週間の休みを取り、びっちりラオスに行ってきました。と久々の海外の開放感から乗り継ぎで一泊したホーチミンで有り金をすられ、「やばいこのままではラオスに行ってもVISA代が払えないし、それ以前に空港税払えないので空港に入れんぞ。帰りの乗り継ぎのハノイまでヒッチで行く旅に変更かな?」というドーショーもない事態に陥ってしまいました。
だめもとで空港まで歩いていき(所要時間2時間)、「金を貸してくれ」と日本人観光客に頼んで歩いた結果(日本人以外は返すのが難しいのではないかと考えた末の計画)、1人の優しい方に1万円お借りできました。それを軍資金にラオスに渡ったのですが、ホーチミンの空港税、ラオスVISA代、ビエンチャン空港税と除いたら残りは50ドル、ラオ通貨に換えると538,000キープ。すごく分厚い札束になって、ブルジョア気分満載なのですが、ビールを普通の屋台で1杯飲んだら6,000キープするので大してお金持ちと言うわけではありません。1日あたり40,000キープの計算でしょうか、ビエンチャンの安宿でじっとして、フォーとかパンとかかじっていれば、まぁ死なないかな、というお金です。
しかし、それでいいのか?ここまで来て、ということで、古都ルアンパバーンにバスで向かったのでした。ちなみにバスの運賃は片道75,000キープ。往復で所持金の1/3がなくなります。何も考えていないですね。
そしてルアンパバーンまでの陸路は、まだゲリラの襲撃が時たまあるというお世辞にもお勧めできないルートで、ビエンチャンルアンパバーンどちらにも観光客はいましたが、まず使わないとのことでした。(というか地元の人もできれば使いたくないらしい)。
あと、誰とも言葉が通じないのには困りましたね。


ここに出てくるスピードボートなるものは、木の船に自動車のエンジンで廻るプロペラをつけた代物で、10人くらいお客さんが乗れる。観光する人々は、これに乗ってメコン川のクルーズに行くわけです。


ラオスのご飯は、もち米のようなものが主食で、一人一つのおひつが当たり、そこから手で丸め、オカズをはさんで食べる。今日は魚のスープがメインでした。聞いてみるとなまずとのこと。これも発酵調味料を使っているらしく、酸味が強いものでした。
特筆すべきは、近所の人(親戚ではないらしい)が夕食の食卓に入れ替わり立ち代り入ってきて食べ飲みして行くこと。あまり自分のものと言う感覚がないのでしょうか。まぁ、居候していた僕が言うのもなんですが。


結局、ラオスにいる間、ずっとここでやっかいになって、船の修理をしたり釣りをしたりしていました。
アイとはまだメールのやり取りをしています。
なんか御礼しようと思っていたのに、なんもしてないや。。。


  ryo