Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

映画のような人生を

高校生のころ、昼飯代として渡されていた500円玉を貯めては、
競馬であたった金を貯めては、映画館に行っていた。
渋谷、銀座、中野...
かぶいていたようで、ミーハーだったので、
ヌーベルバーグ、古いアメリカ映画、古い日本映画が中心に単館もの新作、ドキュメンタリー、
好きな監督は、原一男ゴダール、トルナトーレ、ジャームッシュ...


(いや、ミーハー以外の何者でもないな)


オールナイトの古い映画3本立てみたいな企画を好んで観にいって、
夜中の人が少なくなったときに缶ビールでも飲みながら観る。
(飲酒は二十歳になってから?)
まばらにいる人は、同じような若いひねたような男の子や、人目でマニアだと分かる中年、
どこから迷い込んだのか若いカップル、
好んで観に来ているのか暇つぶしなのか判別できないくたびれた感じのサラリーマン...
それでも、暗くなって、映画が始まり、
ばらばらの人生が、同じ話に笑い声を上げ、時に泣く。


思えば、きっと寂しかったんだと思う。
人と馬鹿話をして遊んだり、酒を飲んで語り込んでも補えない寂しさ。
話もせず、誰とも知らない他人と、深夜の映画館でただ映画を観るだけで共有する
すれ違うだけの関係でしか補えない寂しさがあったんだと思う。


***


帯広の市民映画上映団体CINEとかちの映画館「プリンス劇場」が今月で閉館となるというので、
挨拶がてら、足を運んできた。
CINEとかちは、プリンスを持つ前に他の映画館を借りて上映しだしてから、
少しづつお手伝いをするようになり、
プリンスに移って、自分達の手で上映するようになってから2年間くらい映写機を回していた。
映写機はおんぼろで、3回に一回くらいは自分で切り替わらず、手動で勘で切り替えたり、
途中フィルムが切れて手で無理やり巻き込みながらつないだり、
サーカスみたいな上映をしていた。


懐かしい。


中途半端にしかかかわっていなかったのに、
いろいろ口を出して、「いい映画ならば、それだけでやっていけるはずだ」
と劇場借りて、ヴィスコンティーの「山猫」のノーカット版(3時間強)を4回上映2日間、
映写自分ひとり...という無茶苦茶な計画を立てて、皆に迷惑かけた。
周りの人たちが手伝ってくれなかったら、倒れていたでしょう。
代表と、Aくん、Tさんに、映写のMさん、Rさん、受付やってくれたAさん...


いや... 反省しています。


という思い出深い、映画館です。
帯広からその姿がなくなるのは、
寂しい。


***


今は、あまり境目の無い作品が増えてしまったように思えるが、
本来、映画という作品は、
”大きな画面で、不特定多数の人が、同時に観る為”
に作っていたもので、
テレビドラマとは表現手法が違う。
優れているという作品をDVDで観てもさほど感動を感じないのは、
小さな画面で筋を追っていくドラマ的な作品の作り方とそもそも違うからだ。
もちろん、エンターテイメント性の高い作品があってもよい、
泣ける作品があってもよい、SFでも、ホラーでも良いんだ、
そうした映画を劇場で観て、その空気感を共有することで、
埋めなければいけない寂しさは、
きっと、いつの時代にもあるような気がする。


***


CINEとかち、
これからも場所を変えながら活動するという。
応援しますよ。
できることならやりますし。


  ryo