うちは保育園のお迎えの時間に合わせて野菜を販売する「おむかえまるしぇ」という活動を、
ほかの生産者の方々と3年前からやっていますが、
(まるしぇの活動自体は、4年前から)
今日は、今年どうするかなぁ、という話し合い。
この活動は、全くといっていいほど売り上げは無い(とほほ...)ので、
商売とは切り離して考えていますが、
この農産物に恵まれた十勝で育っている子供達に、
せめて、地元の農産物を、それは有機でも有機じゃなくても関係なく、
食べてもらう機会、
もちろん、それから何か結論を強要するものじゃないですが、
それを踏まえて子供達が選択のできる環境づくりをすることが大事なんじゃないかと思います。
すぐにどうなるというものじゃないのでしょうが、
少しづつでも何かが変わればいいな、と思っています。
そして、そのためには待っているだけではだめだとも。
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こっから下は、いろいろな人にけんかを売っているようなので、
読まないでね。
よく、
子育てをしているお母さん方は金銭的に厳しいので、安売りの野菜しか購入できない。
働いているお母さんは、時間が無くて、料理する暇がなく、出来合いか外食しか出来ない。
などという相反するような2つの話を聞きます。
おそらくどちらも本当なのでしょう。
さまざまなケースがあって、いろいろな状況があるのでしょう。
オーストラリアの悪名高い融和政策によって生じたひずみは、
次の世代に顕著に現れました。
肝心な根っこの部分は、
『子供達は自ら選択できない』
ということと、
『食というものは、生き物としての根源にあるものの1つ』
ということだと思います。
それでインスタント食品や外食がだめだといっているのではなくて、
いろいろな理由で、子供達の選択の幅を狭めないようにしてあげて欲しいと思います。
(もちろんそうじゃ無い人もたくさんいるけれど)
真新しい服を着て、大根が数円安いということに言及したり、
(それを探す時間やそこに行く労力までも考えているのか?)
慣れさえすれば10分くらいでできる料理を敬遠したり、
(醤油と味醂で漬けただけ・・・みたいな料理に幾度感心されることか...)
子供もいず、子育ての大変さを分かっていないといえばそうなのですが、
それでも、子供の幸せを願わない親はいないと思います。
だから有機野菜が良いと言っている訳でも、
うちの野菜を買って欲しいといっているわけでもないのです。
何て言えばいいんだろう?
どんなに忙しくても、
たまには料理位しましょうぜ。
適当料理でいいから、野菜を洗って、切って、
煮てでも焼いてでもいいから食ってみましょうぜ。
同じほうれん草でも、いろいろな味がありますぜ。
そんなことを選び、味わい、楽しむことが、
結構人に必要な要素の一つなんじゃないかなぁ、と思っています。
そして、どういう形であれ、どういう頻度でもいいのですが、
食べ物を作り、同じ食卓を囲んで食べるという形が家族の基本の1つなんだとも。
少なくとも僕には。
ryo
やるのだったら、目的を決めて、
そのためにどうするのかを考える。
すぐに出来なくてもいいけれど、
出来ないのであれば、それを同じように続けていくのではなくて、
どうしたらいいのか、考える。
そしてやってみる。
よければ続けるし、だめならその原因を冷静に分析して、その対処をする。
いたって、シンプルだと思うのにな。