ん〜と、
書くことないので、
書き散らします。
誰も読まなくてもよいですよ。
(じゃあ書くな、と自分に突っ込みも入れつつ)
プロとアマチュアの境目ってむづかしいなと常々思っています。
何をしてプロなのか、
どこまで行けばアマチュアでなくなるのか。
アマチュアでも質の高い仕事を出来る人はいるし、
プロと呼ばれている人でも、名前だけの人も(かなり多く)いますよね。
でも、やはり境目はあります。
プロでしか作れない上質のものというものも存在します。
それで、自分が生活をしていき、生きていくかの覚悟が、
その境目なんじゃないかと思っています。
昔絵を描いてお金をもらっていたときには、
線一本でも引いたら、仕事にする、といつも考えていました。
(よく友人からはめんどくさいと言われましたが...)
どんなに自分の力量がなくても、それで食べていくと決めたからには、
そこに誇りがあります。
人に委ねるでもなく、
そこでプロになる、と決めたもので、
お金(でなくても良いのでしょうか...対価になるものでも)を稼ぎ、その中で食べていく。
つまり、がけっぷちに追い込む状態、今日仕事がなければ、あした食べられない状態を作ることが、
その覚悟がプロだと思っています。
いくら仕事がなく、自分に力量がなくても、それでやっていく、
その覚悟がプロだと思っています。
逃げ道をふさぐ。
よく、野菜を作るようになってから、
(特に手売りをしているので)
「まけてくれ」や「ハネものでいいから欲しい」とお客さんに言われることがあります。
売れなくて辛いとき、何度か、その言葉にのり、毎回その夜は眠れませんでした。
それをするのは、自分の仕事を安売りすることなので、プロではない。
僕は、これだけで、他に逃げ道をふさぎ生きているのだから、
2〜3日食事が出来なかろうが、電話が止められようが、してはいけない事だと思いました。
今は、全て断ります。
が、サービスはするのですよ。
知り合いが直売所に買いに来てくれたら、
「相手が怯むまでおまけすること」を信条にしています。
今から、8年位前、師匠に、
「本気で農業するのならば、それなりの覚悟が必要だ。少なくとも一千万はためないと現実ではない」
と言われ、
前の会社では、昼ごはんは毎日食パンにソーセージを挟んだようなものを作って持って行きました。
5年間の会社勤めの間、一度も服など買ったことないし、
人並みに遊びに行きもしませんでした。
結局散々ためたお金も、畑と土地を買って、水も引けないような有様。
もっと違うやりかたや幸せがあったのかもしれない、などとたまに思いますが、
もう少し広くて風呂やトイレのある家と、新しい服や靴下と、そんなものがあれば、
いまだに独りでいることもなかったのかもしれない・・・などとも少し思いますが、
それが、まぁ、ちっぽけな僕の覚悟です。
仕事と生き方がくっつきすぎていて、
たまに自分でも混乱しますが、
もう逃げ道をふさいだ今、少しでも自分が誇れる野菜を作り、
売れても売れなくても、(気分次第だけれど)売ろうと試みてみたりして、
売れても売れなくても、その中で生活をすることが、
僕の覚悟です。
共感は得られないかもしれないし、
孤独ですよ。
それは自己憐美でなくて、
本当の孤独。
少し人に会わないで、本を読んでいる・・・なんて類の孤独ではなくて、
心の中に穴が開いて、自分が吸い込まれて、何もない状態になるような孤独。
ここにいると、自分が会おうと思わなければ、
1週間でも10日でも一人です。
(今年は実際そういう期間もありました)
人は結局、人は他者により客体化され、存在するものと体で理解し、
一人称の意味が分らなくなりそうになります。
それでもさ、
僕は、生きていくしかないし、
この仕事を続けていくしかないのだろうと思います。
それは選択肢の問題でなく、
やはり、覚悟の問題で。
ryo