Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

常識の非常識

毎日英語の生活ですね。
その流れで、慣れていくと適当さが増していって、
しゃべれないなりに(伊達に大学で語学の単位を全部落としていたわけではない)
なんとなく流れていくのですが、
途中でいろいろ日本語のやりとりが(配達日の今日のように)挟まると混乱します。


違う言語を話す場合は、
なんていうか、考え方が、その言語にならないと会話が成り立たなくなる気がします。
そんなときは、なにが”普通”なのかと考えさせられますね。


***


この間、「僕は至って普通ですよ」と言って、ふき出されましたが、
僕にとって、普通とは自分だけだし、自分以外の人間は、尊敬とねたみの対象になります。
自分にないものを持っている故の。


もちろん、「一般常識」なる、イメージはなんとなく分かるのですが、
そのイメージ自体も主観によっている以上、使う人間の都合の良い言い訳に過ぎなくなるとさえ思います。
つまり、何を持って是とするのか?


客観視せず、ということになると、独善的になり、困った問題も生じるでしょうが、
一般常識なる不可解なものをあやふやにとらえつつも、
関係ないと嘯くことは時として必要に思います。


常識によると(よりすぎると)時として本質を見誤るとも。


大戦下、戦地に赴き、人をあやめることは、
(個々の良心としてどうであれ)所謂常識であったでしょうし、
それに声高に反対することは、非常識であったでしょう。


***


小学生の時に、社会科の自由課題で
天皇は要らないのでは?」
と言及して、教師にも親にもとがめられました。


中学のときに、水俣病でネコが狂死したことに
「かっこいい」
と言及して、教室の前で教師に殴られました。


僕は、別に左翼的発想で天皇制を否定したかったわけでもなく、
(大体そもそも、右左と今更分けること自体が馬鹿らしい、
自国の文化、誇りを捨て、他国との安全保障を重視することが保守か?
束縛から逃れることを欲するべき自由主義者大きな政府を望むことが是か?)
水銀毒による精神障害や、その被害にあった方々を馬鹿にしたかったわけでもなく、


ただ、何もなく常識の枠組の中でタブー視されていることに言及すらできないことに不安でいて、
毎日疑問を持たず退屈な授業を受け、意味もなく生きている自分よりは、
毒に犯され死に向かう猫をうらやましく思っただけなのに。


***


まぁ、いいや、
よく、「奇をてらっている」などといわれるけれども、
別にわざわざ人と違うことをしようとも思わないし、
(いちいちそんなことを考えていたらめんどくさいからね)
本当に、自分のことは、もっとも普通でつまらないと思う。
ただ、人がどうこうしているから、自分もしなきゃとは思わないで、
淡々と自分のありきたりの生活をしているだけです。


だって、食べ物作って、食べて生きていくのは、
僕にとって、一番つまらなく、でも、一番基本的なことです。


***


てなことを考えながら、配達の収穫。
珍しく人がいるので、WWOOFerくんにも少し伝えてみようとしてけれども失敗。
きっと僕の語学力がないせいです。


ということで今日も何の変哲もない、
ありきたりの一日でした。


  ryo