Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

規模縮小


恒例の青トマトのジャム作り。
といっても、例年より2月ほど遅いのです。
作業が詰まっていてそれどころではなかったことと、
今年は秋が遅く(というか秋ってあったのか?)、ハウスのトマトが11月の上旬まで採れ、
青トマトの個数が圧倒的に少なかったためです。
赤くなったのは軒並み売れたので、問題はありません。


ただ、昨年160個ほど製作したジャムが、
今年はその10分の1...
このジャムは結構売れるのだけれど...


青トマトのジャムは例年試行錯誤して作っているのですが、
僕は種も皮も取らずに作るので、
皮が柔らかくなるまで煮込まなければならず、1日仕事です。
全然割に合わない...
少し価格上げるか...


とまぁ、温めている最中は時々混ぜなければいけないのですが、
結構暇なので、
薪ストーブの上にほったらかしにして、
先日下漬けした大根を本漬けしたり、
(昆布と鷹の爪の他に乾燥したディルも入れてみたので、どちらかというとピクルスに近くなったはずです)
顔を見せに来てくれた肥料屋さんと世間話をしたり、
Tさんのところでプレハブ改修のお手伝いをしたり、
(この間は全然かき混ぜていない...)
本を読んだりしていました。
おっ、なんか冬っぽくてよい。


半日以上かけて煮込んで、瓶詰め、ただ今煮沸中。
日が変るころには出来るでしょう。


  ryo


クラカワー「into the wild」読破。
軽い本だったのだけれど、何やかんやあって日をまたがってしまった。
昔はこの厚さの本なら3冊は行けたのに...


寺山修司は「書を捨てよ、街に出よう」と言った。
知識を身に着けることは(重要ではあるけれど)、
身なりを整え、服を着るようなものだ。
中身である肉体には、行動が必要であり、経験が必要となる。


動かなく、既成のルールを守り、今あるものと、これからを大事にする生き方もあるだろう。
それはそれで困難な道であるだろうし、馬鹿にするものでもない。
逆に、数は多くないだろうけれど、自分の身をさらし、
危険の中に自分のルールを見出すこともあるかもしれない。
それは幼いロマンチシズムと自己陶酔なのかもしれないが、
人に迷惑をかける行動となるのかもしれないが、
動かない人に、それを非難することができるのだろうか?


かつて、自分も砂漠で凍えるように寝、
毒蜘蛛に刺され、銃を突きつけられ、ヒッチで乗せてもらった車の2人組に脅されて金を取られたり、
馬に乗ったまま海に溺れたり、3日ぶりに釣れた魚に歓喜していた。
東南アジアで野宿を余儀なくされて、全身蚊に刺されたこともあった。
1歩間違えたら死ぬようなことばかりだった気もする。
それでも、幾多の本を読むより、そこには学ぶべきことがあったし、
なにより生の実感があった。


そこには明らかに無知があったし、準備不足もあった。
ただ、僕なりの真実と、リアルも確かにあった。
もちろん、逃げていただけかもしれないし、
それで世界が変るわけではなく、
子どもが泥遊びをしている程度のものでしかなかったのかもしれないが、


それに伴う、覚悟はあった。


だから、若者達よ、
小さくまとまっても、いいかもしれないけれど、
ある日自分の財布の紙幣を全て燃やして、テントと寝袋、バックパックだけで足の向くように進むことも、
そんな馬鹿な選択肢があっても、
僕はいいんじゃないかと思っている。


Back to basics!
人は突き詰めると、ただの1個の生き物なのだから。


・・・といってもこの文、若者は読まないだろうな...