説明入れないとわけの分からない写真を載せてみます。
玉ねぎとリーキの育苗ベット(?)です。
研修なんていいながら無理やり勝手にやっていた時期を含めて、
今まで3年育苗を体験し、
独り農業の限界は玉ねぎにあると感じました。
ニーズがあるから作りたい野菜なのですが、
育苗初期の根張りが大事だといわれている玉ねぎが、
毎年水切れしてうまく育ったためしがありません。
初め、玉ねぎの種って少し買っても2,000〜3,000くらい入っているので、
128穴のセルじゃもったいなくて、というか播ききれなくて、
200穴のセルでやったりして失敗。
昨年は128穴も使いましたが、やはりどちらにしても水切れ。
朝方水あげて、なんかの会議や打ち合わせに日中行っただけで、
トマトなんかはある程度大丈夫なのですが、玉ねぎはすぐだめになります。
発砲スチロールにも播いてみて、ある程度育苗はうまくいったときもありましたが、
定植後に草に負けましたし、リン欠で...
なんてツンデレ野菜!
(デレはあるのか?)
ということで、今年はハウスの地面を整地してそのまま種をまいてみました。
僕は学習しないことで有名ですが、
まぁ、一応同じことは繰り返さないように日々努力はしています。
どうなることやら。
あと、ハウス物のキャベツ、紫キャベツ、玉レタス、リーフレタス、サンチュ、サニーレタス、セロリ、
セロリアック、トレビス、エンダイブを播種。
温床スペースかつかつなのにセロリアック以下をなぜ播いているのか、不明。
牛屋さんのお手伝い少し。
ぼかしの切り返し。
ねこにいぬのまねを教える。
ryo
依頼を受け、夜にYさんの所で家庭教師。
よく考えたら高校生のときから家庭教師しているので、家庭教師歴は長い。
仕事したりしても知り合いのお子さんをちょこちょこ教えていたりしていたし。
たいして学校の勉強なんかしなかった僕が家庭教師というのも、よく分からないし、
そもそも僕には、学校の勉強自体がよく分かっていない。
テストで点を取るだけなら、国語を勉強して、
後いくつか覚えなきゃいけないものを覚えればいいのだろうが、
本来は全く違うものだとも。
数学・科学なんていうものは、
「自分は、そして世界はどういうものなんだろう?」
という思考/哲学からすべて始まったはず。
勿論そこに利便性を求めるためや人や自然に抗う(もしくは征する)ために発展したものもあるけれど、
数学と科学、思想、宗教、文化、政治、経済は密接につながっているし、
その流れを把握するため、過ちを繰り返さないものとしての歴史があるはず。
だから、数学だったら、まずエウクレイデスから。
そしてそれを考えると、
何も知らない僕には、
何も教えるだけのものは持ち合わせていないことだけが分かる。
一方、国語や英語は語学だからね。
自分が、英単語を覚えるのが嫌で嫌でまったく英語がだめだったことを踏まえても、
それでも意外と英語圏の中に身をおくと(生きていくために)何とかなったことを踏まえても、
「相手に伝えようとするかどうか」「言葉や知識を伝達しようとするかどうか、受け取ろうとするかどうか」
の意識の問題だけだと思うな。
Do you know what I mean?
これだって、「ドゥ ユウ ノウ ワット アイ ミーン?」って読むのだけれど、
誰もそんな風に言っていない。
「ユノ ワナ ミーン?」
って聞き取れるし、それをそのまま使えば問題は生じない。
点を取るだけなんて面白くない。
世の中には不思議なことや面白いことがたくさんあるし、
辛いことも、楽しいことも、
なんだかよく分からないことがたくさんある。
勉強(stady)と学び(learn)は違うなんてどこかの偉そうな馬鹿みたいに嘯くつもりは無いけれど、
そんな表面上の言葉遊びではなく、
ただ単に、自分や周りや世界を面白いと思い、知ろうと思い、周りと関係性を持とうと思ったら、
学校の勉強なんて、簡単すぎて逆に面白くないはずだ。
こんなに世の中は面白いのに、
今の日本の教育は、どんどん面白くなくさせているよな。
と思う。
Do you know what I'm saying?