Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

オーガニック再考 その3 繋げていくこと

はい。忙しい時に炎上するテーマ 第三弾
本当は10回くらいに分けて書きたいけど、今時期はそれやると立ち行かなくなるので睡眠時間削って、今回で終わり。
どうせ今日も芋ほりできないし…


バタバタとまとめるので、客観的だけでなく、そのなかで僕がどう考えているかも書いていきます。
あまり客観視すると、「上から目線だ」とか「えらそうだ」とか言われるし…
僕自身は、物事を客観視するのは、盲目的に袋小路に入り込むのを防ぐ大事な手段だと思うけどなぁ。
客観視し、その上で自分がパーツを集めて、どういう選択をするか。
今回のテーマでは、自分がどういう風に生産物に向かうか(向かってきたか)、お客さんとどう接するか。


他のことでもそうですが、「盲目的に何かを信じる」「思考停止する」ということは怖いことだと思います。
過去2つの大きな戦争を経て、人はどこか学ばなければいけない。


あと、何かのやり方を否定するつもりは全くないですから。
むしろ、有機や自然栽培が広がってほしいと思っています。
ただ、それでぱつっとどこかで切って、ここからここまでがいい悪いって言うんじゃなくて、
有機栽培、自然栽培、慣行栽培、言葉で区切るんじゃなくて、
本来はあやふやで、その中間なんかもたくさんあるし、生産側の多様性は広がってほしい。
そして、言葉にとらわれるんじゃなく、線引きに引っ張られ宗教的になるのではなく、
もっと食べ物というシンプルなものを通して、みんなが多様になればいいなって思います。


「有機だから安全」ではなくて、「じゃあどういうものを(いろいろな条件の中から)選択しようか?」
って100人いたら100人それぞれ考えてほしいし、
「有機だから、美味しい」ではなくて、単純に食べて美味しい!と言って欲しい。


そういった個々の自立が、平和な社会を作るうえで大事なことだと思っています。
(急に話大きくなったな)


***


冗長


本題に。


***


前回2回で乱暴に、
「有機って区切り自体は、どういうことをやっているかの線引きだよ」
(注、誤解無いように言っておくけど、統一された線引きはとても重要。特に判断基準が無い場合の材料になる)
「その区切り自体では、安全や美味しさは担保出来ないし、いろいろなやり方をしている人がいるから、
客観的な事実の上で、お客さんそれぞれが、それぞれ判断してね」


ってことを書きました(誤解している人いないよね?)


で最後のテーマ「持続性」
次の世代にどういう社会を残していくのか。


残念ながら、これも有機だから持続性があるとは、これっぽっちも思っていません。
というか、有機だから、ではなく、どういう風に農地や作物に対しているか、
どう長期的に営農のプランを描いているかということだと思うので。


たださ。このテーマは外に出る、区切りの問題や、お客さんが受け取る安全の問題と違って、
生産者側のエゴイスティックな面もあります。
だから、あまり自分の考えややり方を表に出すのは好きじゃないですよね。
それは僕の生き方であるし、信じる道で、
たまにそういうのに共感してほしいなとは思うけど、
他の人には、それぞれの判断で動いてほしい。


***


有機農業が大事だよ。って言われたりする大本のところは、
化成肥料だけ、を使って大量生産した4〜50年前のアンチテーゼ的な意味合いがあると思います。
有機質を入れることによって微生物層を豊かにして、圃場を使い捨てではなく、持続可能なものにする。
さらにモノカルチャー農業への批判…


ただ、大事なのは、大昔から人はこの視点で(意図しているかしていないかは別にして)
作物を作り続けてきています。
人糞を含めた廃棄物の利用、輪作体系などなど、科学的根拠がなくても経験則で、長く続ける農業をやって来たんですよね。
(すみません時間ないので乱暴です)


でもこういうのって主に生産者側の都合なんで、
線引きのどっちかにかかわらず、皆それぞれの視点で取り組んでいるところで、
線引きをして有機だから素晴らしい!
というのとはちょっと違うと思います。


炎上しつつあるFBのコメントにも書きましたが、
「有機農業者がすばらしい」のではなく、
「有機、慣行問わず、作物やお客さん(そしてこの場合は長期的にみて周辺環境や社会に)向き合っている生産者が素晴らしい」
となると思うので、有機の区切りだけで素晴らしいかどうか言及するのは
(そこで思考停止して、それ以外の生産者の努力を想像しないのは)
ちょっとどうなのかな、と思います。


が、矛盾するようですが、線引き、区切りって大事です。
都市部に住んでいて、生産者と直接対せない消費者の方にとっては、
「農薬や化学肥料を使っていない」という判断材料の一つになるでしょう。
(それ以外判断できないからね)
ただ、それってファンションになりがちで、安全や美味しさにつながるとなるとちょっと違う…
どちらかというと、より環境に負荷をかけないやり方だったり、そういった生き方に対する投票みたいな意味合いの方が強いのかな、
と思います。


別に取り立てて言うことでもないですが、おそらく初期の有機的な農法の思想としては、
「周囲から手に入れられるもので、循環型の社会をつくって行きましょう」ってのがあると思うんですよね。
(このぐだぐだシリーズ1回目参照)


どういう社会を作っていくために、何をするのか、
というアプローチの一つがオーガニックだと思いますし、
本来生産者個人個人の理由によるやり方へのお客さん方の投票なんだと思います。


ただね…これあんまりやりすぎると農法や生産者を核にした宗教っぽくなるんで…


その前に、前回2回の冷静な視点を持って、それぞれで「考えたり」「感じた」結果、それぞれで判断してほしいですよね
「正しい」「正しくない」と外に言うのは違うと思います。それぞれの中の「正しい」はあるかもしれませんが。
「正しい」を押し売りするのは、一番胡散臭い。


そして、自分以外の人や同じ考え方でない人がいるということも想像してほしいです。
病気で苦しんでいる人、こういったくだらないことの前に「食べられない」人がいること、
有機農業以外でも、もちろん素晴らしい前向きな生産者が沢山いること。


なによりも、食べ物って、
頭で考えて形作られるものではなくて、もっと基本的なものであること。


理屈ではなく、
1生産者として、基本的なこの「食べ物」というもので誰かとつながれたら、
それだけで、うれしいです。


  ryo


持続性をテーマに書きたかったけど、
まぁ、これ読んでいる人みんな分かってるよな、ってことで省略。
もう一回、「自立」をテーマに書きたいけど、
芋掘り終ってからだな