Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

2014.2.6〜19 台湾旅行記 その1

今回もいつものように毎日日記を書いているが、
今振り返って思う全体的な旅の印象を記しておく。
日記を書いている時点のリアルと、今旅を振り返ったときのリアルは異なるものだから。
そして、それはどちらも僕にとってもリアルである。
真実はいつも一つではない。
機会があれば、選んで載せても良いけど...


***


今回は2週間という短い旅。
旅に出る前2週間くらい夜にちまちま北京語を覚えて行ったのだが、
いまいち使えず。
行き帰りにうちに来ていたWWOOFerさんのところに泊まらせてもらったのだが、
彼らは日本語や英語をしゃべってくれるし...


いや、それでは、駄目だ。
と、彼らにお礼を言って独り南に。
本当はWWOOFerさんの家から適当に歩いていこうと思っていたのだが、
あいにくの雨。
日本と同じで大陸から季節風が吹くだろうから、比較的南東に行けば晴れているかな、
という安易な理由で(天気予報見ろよ)、南へ汽車で向かう。


・・・まず、降りたところ、どこかわからん...
人に道を尋ねてみるが、せいぜい挨拶くらいしかまともに知らないので、
この試みは、当然の様に失敗する。


まぁ、いいや、目的地がなければ、『道に迷う』ということは絶対無い。
着いたところが目的地だ!
と、てきとうに歩いていたのだが、ここでもまた雨(しかも土砂降り...)


じゃあ、やはり山の向こうに行かなきゃ駄目だ。
と次の日の朝、びしょぬれで歩くのを断念し、東へ。
こちらは台東という大きな街だったので、なんとか位置を把握。
北→南→東、と来てしまい、また歩き始めたのだが、このまま東へ帰るのは癪だ。
というわけで、行けるとこまで北上するか、
と、てくてく歩き始める。


本当は、ヒッチしたほうが、拾ってもらった人といろいろ話せるし楽しいのだが、
今回は言葉が全然分からない。
オーストラリアをヒッチで廻り始めたときも、英語ほとんどわからなかったけれど、
なんせあのときほど時間も無い。
しかたねぇなぁ、という消去法的な旅だ。


で、やはりあまり話しかけてくれる人はいないし、
こちらも疲弊し切っているので(特に安物の靴が)、
「自分への挑戦の旅」の様相を呈してきていたのだが、
道中同じように歩いて旅している台湾の人と一緒になり、
お互い疲れながらも少し会話(だって他の誰も歩いていない道をひたすら並んで歩いているからね)
彼はボディーガードを職にしている屈強な台湾人だったが、
冬季オリンピックも行われていることだし、ここで僕が負けるわけにも行かない。
別に、日本を代表する気はさらさら無いし、日本でもお断りだろうが。


てなわけで、お互い口には出さないが、変に張り合って、
この日は一日で50kmちょっと歩きましたとさ。
15kgくらいの(←本や辞書を持って行くから重くなる)バックパック背負って...


一体何の訓練だ?


彼とは結局1日半、台東→花蓮までの途中にある長浜という街の彼の実家まで一緒に歩き、
そこで一晩御世話になってしまった。


  ryo


(その2に続く)



***


人との出会いというものは、面白いもので、
雨が降らなければ、なんとなく東に行こうと思わなければ、
いくらそんなに広くないとは言え、台湾で歩いて旅する人と一緒になるなんていう偶然は、なかなかない。


面白いものだ。


***


台湾の東側はどちらかというと田舎で歩道なぞというものはあまりない道が多いのだが、
そこを車は結構なスピードで通り過ぎて行く。
歩行者にやさしくない国だ。
・・・って大学時代自転車で北海道を廻っている時に、日本の国道でも同じことを感じた気もする...


台湾は、結構犬を飼っている人がいて、しかも、そんな車の行きかう狭い道沿いであるにもかかわらず、
離し飼いの人が多い。
犬も車をよけながら歩いている...


そのうち何匹かはうちのバカ犬の様にフレンドリーで、
2人して歩いているときも、茶色の犬と、黒い犬が、それぞれ1匹づつ長い間一緒に付いて歩いてきた。
と、そのうち黒い犬〜1日目の午後に1時間ほど一緒に歩いていた犬〜
が追い越しをかけた車に轢かれてしまった...


道路の反対側まで転がりながら跳ね飛ばされて、即死だった。


車はそのまま走り去ってしまい、僕も彼が「行くぞ」というので、その場を後にした。


ほんのわずかな間でも、時間を共にすれば、それは友となる。
僕は、彼のピンとはねた耳や、草むらの中の何かを探すしぐさ、
先導するように先を歩き、振り返ってこちらを振り返っている姿、
少し汚れた背中を、
僕は忘れないようにしよう。
そこに、確かに君がいたことを、覚えておこう。


会うことが、偶然であるように、会わないことも偶然であるなら、
今まだ見ぬ誰かが、僕の友であり、家族となることは十分にありうる。


目の前で犬が轢かれなくても、どこかで今も犬は轢かれているだろう。
どこかで猫は轢かれているだろう。
どこかで人も轢かれているかも知れない。
どこかで人は撃たれているだろう。
どこかで人は、そのほかも生き物も、その意思と関係なく命を奪われ、奪い、
それは自分の友となるものだったのかもしれない。


死や哀しみや、罪の中で、
如何に生き、如何に笑えるか、
ということは、辛く難しい命題だ。