朝から雨、さんざんのトウキビをなんとかさらい、
ついでに会員さん用の送付やらなんやらしようと、
送付状の作成。
当日にやるなよ、
という自分と、
じゃあいつできたんだ、
という自分が少し言い合っていたものの、
ほぼ終わりかけたイラレのデータが飛んで、
必死こいて作りなおしているうちに、
その不毛な論争は終わったようだ。
雨の中無理やり収穫し、
無理がたたって、畑の中で車がはまる。
救う神ありとはよく言ったもので、
ちょうど野菜を採りに来たSさん(タイトスカートとミュール)に
草だらけの畑に入って手伝ってもらい、トラクターで引き上げる。
差し入れまで持ってきてもらったのに、申し訳ない。
おわびに後でどろどろになった靴の代わりを買ってあげるほど、僕は気が利かないよ。
少し?お相手して、日課のインゲン収穫。
簡単に終わるかと思いきや、もう木が古くなってきているのでロス率高く、
かなりてこずる。
例によって郵便局のお姉さんに無理言って時間外で処理してもらい。
ぎりぎりセーフ。
で今日は終了。
これまた例によって、
今日も明日の配達用の野菜なにも採って無いや...
ryo
夏に葉物が乏しくなるので、夏らしい葉物で対抗します(というか逃げ)。
まずは、空芯菜。
炒め物でその力は発揮されます。
むしろそれ以外にないのではないかというすぺしゃりすと。
赤いあいつみたいな奴です。
どうぞごひいきを。
***
夏は暑いので丁度途切れるレタスを皆欲しがります。
うちもこの雨前までは少しやっていたのですが、
結局夏場は資材と手間をうまく使わないと出来ません。
そりゃ、うまくすると夏でもレタスやほうれん草作れますよ。
ボイラーたけば冬でもトマト作れるのと同じです。
もちろん、時期を外せばニーズにこたえられたり、褒められたり、高く売れたりするわけなんですが、
もちろん、そうやって作る人がいても、全く問題ないのですが、
「より自然で、当たり前の形で食べるものを作り、渡したい」
という自分のコンセプトに合うかどうかは、甚だ疑問です。
春なら春に、夏なら夏に、秋なら秋に、
当たり前に採れる野菜を食べる生活。
北海道では冬に野菜は少なくなりますが、
そのための保存食の準備...などなど
季節を感じ、生きてきた古くからの知恵や技術を見つめなおし、
より資材、エネルギーをかけない生活を営むことが、
その考えに共感していただく方に野菜を食べていただくことが、
自分が「自然農」ということをぼちぼちやっていく意味なのかと思います。
それがより個人が自立し、省エネルギーで、ひいては平和な世の中となる礎だとも。
鹿やキツネに食べられても、それは仕方の無いこと、シカだけに。
彼らだってお腹がすいていたのでしょう。
どの道世の中の経済システムから半分以上はみ出しているのですから、
忙しくするのはいいけれど、
小銭に目がくらんで、見失うものがあってはいけないな、
と考えた雨の日でした。