Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

大切なものはいつも僕の手からこぼれ落ちていく


先々週末、愛猫のうちの片方、セロリが、
家の前で車に轢かれて命を失いました。


彼は、まだ1歳にも満たず、車の怖さを知らなかったのでしょう。


すごした時間は少なかったのですが、
彼は僕の大切な家族でした。


僕は人の家族ができたことがないし、
よく人と動物を比べるなと、指摘を受けますが、
それでも、間違いなく、僕の家族でした。


もう片方の猫が具合の悪いときには、
「やさしい猫になりなさい」と言ったら、
ずっと隣にいて、なめてあげていました。


もう片方の猫は甘えてずっと僕の近くにいるのですが、
彼はいつも遠慮して、一人になったときだけひざの上に乗ってきました。


やさしい猫でした。


僕は、わがままと、弱さで、大切なものを次々に失っていますが、
近しく一緒に暮らしていた彼を失ったことは、
別の意味と、別の感情を生まれさせました。


彼は幸せだったのだろうかと、
毎日想います。


  ryo


情けないけれど、僕は猫を失い、混乱するほどの弱い人間です。
そしてこの弱さが、自分を支えてくれる大切な人までも哀しませることになってしまいました。
すべてにおいて、僕は弱く、傲慢で、時に理屈っぽく、人に疎まれがちですが、
大事なものは何があっても大事で、
それは、自分の立ち位置がどこになろうと、変わりません。
傷つけたいわけでも、哀しませたいわけでも、失いたいわけでもありませんし、
自分を殺してでも、そのために真っ直ぐ進もうと常に考えていますが、
結局、いつも取りこぼしてばかりのような気がします。
ひとえに自分の至らなさなのでしょう。


つまり、セロリの死のように。