Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

2001.3.8 タイ バンコク

いまだ腹痛が治らず。腕も相変わらず痛い。
昼から少し調子が良くなり、買い物に行く。
スーはちょろちょろ走り回っていろいろ「買って」、「買って」とうるさいが、
「駄目だ」(正確には金がなくて出来ない)というとふてくされてしまった。
それでもなんやかんや(彼女が)買い物をして、俺は腕を押さえながらも荷物持ちをして引きずり回される。
自分の立場をどう考えているのか、全く分からん。
中華料理を食べて、お酒を飲んで帰ってくる。
お金は彼女持ち・・・ヒモか?


わがままで大変だったけれど、今日で最後となると哀しくなる。
彼女は明日から、もう別の男の人と会うらしい。
金がないゆえに、金を求めて、金に取り付かれ、知らない人間に体を預ける彼女を、
彼女らを卑下し、安いからという理由でこの国に彼女達を求めてくる人間達を、
どうしようもないことなのだろうけれど、これでいいとは思わない。
最後の夜だと擦り寄ってくる彼女に、夜が明けるまで話をしていた。
俺のつたない英語でどこまで話が通じただろうか?


明日は、俺がどんなにぐだぐだ言っても訪れる。


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(解説 という名の御伽噺)
タイには、当時(大学時代)働いていた居酒屋のお客さんに連れて行っていただきました。
入りはプーケット、そのお客さんは観光で、僕は一応通訳として同行しました。
プーケットは美しいビーチと大きなホテルが立ち並ぶタイきっての観光地で、そして、
タイきっての春を売る街として有名でした。
街中に原色のネオンを放つバーが立ち並び、
歩いていると周りのお店から女の子が出てきて道行く人々に声をかけるのです。
一緒に行ったお客さんもそれが一つの目的でした。


ついたその日から、行きたくないと渋る僕を引きづるようにプーケットで一番高いバーに連れて行き、
女の子を一人選ばせてホテルへ帰ったのです。
お客さんの手前、部屋まで連れてきたのはいいのですが、
僕はお金を払って女の子に手を出すというのは趣味じゃなかったので、
その旨お話し、「君とは寝れない」と告げました。
彼女はとても美しく、流れるような英語を話しましたが、きかない子で、
「お金をもらって何もしないなんてできない。けれどお金は返したくないので、意地でも寝る」
と言い張ってききませんでした。
散々言い合った挙句、寝る代わりに1晩中タイ語を教えてもらうということで合意しました。


それからプーケットにいた一週間、毎日彼女を連れて帰り、朝までタイ語を習いました。
もちろんずっとそうしていたわけではなく、別の部屋にいたお客さんの目を盗んで2人で飲みに行ったり、
(ベットは彼女に占領されていたので)ソファーでうとうとしたり、
お互いのことを話し合ったりしました。
僕は日本での生活、今学んでいること、夢について、
彼女は、生まれ故郷の貧しい生活、家族の話...
今の仕事は嫌だと泣いていました。
そんな状態を、僕は一緒にいたお客さんに話していたし、
もうこれ以上僕にお金をかける必要はないと告げていたのですが、
「まぁ、そんなもんだ」と彼女が僕といるために必要なお金を出し続けていました。


お客さんは先に帰ることになっていたので、
ほとんどお金を持っていかなかった、
そしてこの足でカンボジアまで行こうとしていた僕もそれとともにプーケットから離れようと思い、
(なんせ何をするにしてもお金がかかる街だったので、貧乏人には居辛いところでした)
最後に、とりあえず挨拶だけでもと彼女がいるバーに顔を出しました。
喧嘩してばかりでしたが、お金が絡みつつも何かしらの関係が出来ていたと感じていたからです。
あんまり他のお客さんといる彼女を見たことはなかったのですが、
他の女の子によると、彼女は売れっ子だったようで、
原因は分からないけれど一週間店を空けていて、
彼女目当てのお客さんが何人か待っていたとのことでした。
現にその子に連れて行ってもらったお店の奥には、何人もの男性に囲まれた彼女の姿がありました。
連れて行ってくれた子が、彼女に呼びかけ、こっちを見た彼女は、
突然立ち上がり、こちらに駆け寄ってきました。
まわりにいる男性のうち何人かが、立ち上がり、その後を追いかけてきました。
僕は、―――何を考えたのか―――彼女の手をとって店の外に逃げ出しました。
いまだに何であんなことをしたのかわからないのですが、
後ろからの聞こえてくる何人かの罵声と、総立ちになって歓声を上げる女の子達が印象的でした。
表の呼び込みの男の子に何か声をかけられ(「ほれるなよ」といわれたらしい)、
「Fuck you」と返す彼女と流れているバイクに飛び乗りました。


それからバンコクの安ホテルに泊まっていました。
逃避行、というよりは買い物をしたり、映画を観に行ったり、のんびりしていたように思います。
それと同時に、どうしたら前のような仕事に戻らず、彼女の故郷の家族達を養えるのか話しました。
日本に一緒に行く方法もないかも調べました。


・・・


5日ほどそんな生活が続いて、夜買い物に行って帰ってきた僕は、
部屋の中で彼女が誰かと電話をしている声を聞きました。
英語だったので、理解も出来ました。彼女が自分の客と話している会話を。
彼女は泣きながら、「戻りたくないけれど、戻るしかない」と。
僕は何も変えられず、無力でした。


僕は自分が許せなかった。無力さも、人を救える、と思った傲慢さも覚えておく必要があると思いました。
泣いている彼女を寝かしつけ、独りバスルームへ行き、自分の左腕にナイフを突き立てました。
骨が見えて、血が噴出したけれど、一人の人間が自分に期待して、それに応えることが出来なかったことを、
風化させてはいけないと思いました。


次の日、ひどかったらしいです。
血だらけで。


何も出来ないまま数日がたち、彼女はプーケットに戻りました。
店を飛び出してから数日後、彼女は店に電話して謝り、休みをもらっていたとのことでした。
現実的ですね。


別れ際、タクシーの窓越しに交わしたキスは、
そのときの彼女の涙は、何を意味していたのか、結局分からないままです。


・・・


この話はフィクションです。
昔の話なので、そんなことがあったのかなかったのかすら忘れてしまっています。
僕はその足で、その日にはカンボジアに入りました。
腕の傷は数日痛みましたが、かまわず現地の川に入ったり、
子ども達とセパタクローして泥まみれになっていたわりには、
なんとなく直りました。
僕も、強いな、と思いました。


・・・


人はぜんぜん変らないですね。
教訓は生かされていません。
腕の傷は今でも見えますが、
僕は今でも奢り、人を助けられる、人を愛せると思ってしまい、
そのたびに同じように自分の無力さを思い知っている気がします。