Paca Kajero

うちの菜園の状況などを徒然に

早朝四方山話1

まだ日が出ていないので、
誰とも会わない春の農作業期間暇つぶしシリーズ。
軽めに。
そして適当に。
読み直しもせず。


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僕が、興味を持って取り組んできたこと
―学んできた生態学,環境保護
 仕事として選んだコンピューター関係、社会教育、バイオマス・環境関係調査研究
 現在行い、これから続けていくはずの自然農
 日常的に取り組んでいる原子力関係の情報整理、先日行った地域通貨のイベント―
は、僕なりのゆるやかな方向性を持ってやってきた、そしてきていると思っている。
もちろん仕事としては現実的な選択肢としてただお金を稼ぐためだけのもの、
そして、まったく方向性というより自分の好奇心を満たすためだけ、
感性を刺激するだけのためにも行動するので一概には言えない。
・・・基本的には自分のことしか考えていないということだろうが...


もちろん、こういった目的は皆持ちながら行動しているんだろうけれども、
僕の場合は、「より平和で平等な社会や次の世代につなげることの出来る社会の形成」。
とこう書くとえらそうだけれど、僕にとっての社会は、
もちろん世の中全体のことも指すのだけれど、
それをどうこうできるほどの力が自分にあると言うほどおこがましくはないので、
基本的に自分自身と自分の手が届く範囲の周辺環境。
ようするに自分が気楽に生活できれば良いというレベル。


僕は自由主義者だけれど、それほどストイックな無政府主義者ではないので、
1か0かということを自分に強いたり、人に強要したりすることはない。
自分が好き勝手したいように、意見なんて十人十色だろうし、
いろいろな人がいるから世の中は面白い。


問題は、このいろいろな意見が、選択可能かどうか、という点だと思う。
残念ながらこの国では、初期教育や所謂「常識」というもので、
この選択が制限されている、ひどい場合には選択肢すら隠されている場合がある。
仙人ではあるまいし、どんな形であれ社会生活を営まなければならない中、
ある程度の規範は、必要だろう。
つまり憲法にもうたわれている公共の福祉を害さないかどうか、
そして地域コミュニティーなどでの古くからの慣習など。


ここらへんは難しいので、それぞれの妥協点を探す必要があるのだろうし、
皆が好き勝手な行動をしたら社会全体が混乱するだろうけれども、
「みんなやっているから」「それが常識だから」ということがギアスとなる。
住みにくい国だ。


もう一つの制限は、社会構造による制限。
この国のほとんどの人間が、資本主義社会の構造の中で生活している。
本来、物と物の間にあったはずの貨幣が、逆となり、
貨幣と貨幣の間に物(人〜労働力を含む)が挟まり、
資本の運動の中での行動を余儀なくされる。


・・・っと明るくなってきた。
野良仕事します。
続きは早朝四方山話2で。